大切なもの

電車に乗っていて、身の回りにある物のうち「今の時点で一番大切な物」は何だろうか、と考えています。
鞄の中にある本?、個人データのいっぱい詰まった携帯スマホ?、いやいや、そういう物は全て、金で買い戻すことで代替が利く。だとしたら、金の入った財布だろうか?、いやいや、財布に入ってる金の額面なんて高が知れていて、本やスマホの方がよっぽど高価です。だとしたら、今の時点で一番大切な物とは、持ち物の中で一番値の張るタブレットだろうか。
ちょっと視点を変えて、私を乗せて走っている電車の車体だとか、どうかな?今電車が止まると、帰宅するのに物凄く金がかかる。第一、危険です。しかしそうすると、本当に大切なのは電車の車体の方なのじゃなく、電車の車体に乗せられてる私の身体の安全だ。安全は金であがなうことが出来ない場合がある。だとしたら、今の時点で一番大切な物は、やっぱり私の身体それ自体なのじゃないか。

・・と、ここまで考えて、そんな私の発想の推移が、ルネ・デカルトの有名な発見、「われ思う、ゆえにわれあり」と類似していると思った。つまり、最終的には、自己の存在に還って行くのです、と、そういう訳で。

2019年5月18日

日本一美味い新潟の米と、私の母校

私の出た学校は、岡山大学の附属校であり、そこで為される教育活動は、時代の実情に応じて提唱される教育理論の動向に敏感である。最近の教育界はアクティブ・ラーニングが全盛であり、余りに盛んであり過ぎて、猫も杓子もこの教育理論を掲げるきらいがあり、「狂い咲き」の様相すら呈してかまびすしい。教育実験校としての機能を付与された私の母校も、アクティブ・ラーニング研究に余念がないが、ここまで人口に膾炙した理論ともなれば、それへ挙げられる批判もまた、何処と無く定型化して斬新さを失うというのが、経験科学研究の常であるらしい。その批判とは即ち、アクティブ・ラーニングを実践する際に使われる道具立ての研究を、アクティブ・ラーニング研究の本体と混同してはいないかといったものである。簡単に約言すれば「手段の目的化」といった程の意味に過ぎなく、 些か陳腐の印象を拭えない。
これに対し、岡山大学附属校の教育理念は、そうした世の喧騒を涼しく俯瞰する立派なもので、時代を超えて通用する価値を体現して貴い。則ち、「自主自律、豊かな心で、たくましく」という文言に集約されるのだが、全国に点在する教育実験校の一つとしての存在根拠を掘り下げて言えば、それは次のようであると思われる。それは、「文明の進展に寄与した科学研究の成果をどのようにデフォルメすれば、その本質的な内容を損なわずに、平均以上の水準の知能を有する中学生にそれらを理解させることができるか」との問いをめぐる経験知を集積する事である。誤解を恐れずに言えば、次世代を創る人材の「品種改良」を行うことが、私の出た学校の為す教育活動の眼目であり、第一義でもある。
時代を超え、世代を跨いで運営される壮大な品種改良ということで同様に想起されるのは、新潟県の誇る主力品種である「新潟県コシヒカリ」開発のプロジェクトであろう。「越の国(=北陸)に光り輝く品種」であるよう嘱望され、創り出されたこの美しい名を持つ新品種は、「日本一美味い新潟の米」として全国に知られるが、その誕生までの道程はけっして平坦ではなかった。コシヒカリの両親の掛け合わせ(交配)は、昭和19年、新潟県農事試験場(現:新潟県農業総合研究所)で、高橋浩之主任技師らにより行われた。交配には、いもち病に強く、収穫期の籾の色がよい「農林22号」と、戦前の新潟県の主力品種であり、収量が多く、品質と食味がよかった「農林1号」が選ばれ、両方のよい所を併せ持った品種の育成が目指された。交配により得られた種子(雑種第一代)は、翌年昭和20年に栽培される予定だったが、職員の出征による人手不足のため、栽培することができず、育成材料は大切に保存されることとなった。戦火を免れた雑種第一代の栽培は昭和21年に行われ、選抜が進められる事となる。昭和23年、農林省直轄の長岡農事改良実験所が選抜した65株のうち、20株が福井農事改良実験所へと引き継がれて育成が継続されるが、同年6月28日、マグニチュード7.1の地震が、その福井を見舞った。試験田の多くで液状化や用水路損壊が起き、育成の試みは挫折して仕舞うかに見えたが、長岡農事改良実験所から引き継がれた20株は奇跡的に被害を免れた。地震被害を免れた20株からは、その後の選抜により、「越南17号」(後のコシヒカリ)の他、「越南14号」(後のホウネンワセ)等の系統が育成された。正に時代を超え、世代を跨いで光輝く、「日本一美味い新潟の米」の系譜が茲に準備されたのである。
越南17号は、越南14号とはまた違って、大変に個性豊かな品種であった。食味や品質が抜群である反面、稈長(稲の丈の長さ)が長くて倒れやすい、いもち病に弱い、といった欠点があり、そのため、育成した石墨慶一郎さんは、始め、捨てて仕舞おうかと思ったそうである 。しかし、地力の劣る地帯で活用できるのではないかと思い直し、全国の試験場へ試作を依頼することとなった。後年、石墨さんは、「もしあのとき、諸特性の一段と優れた越南14号の育成に有頂天になっていたら、今日のコシヒカリは存在しなかっただろう」(日本作物学会北陸支部・北陸育種談話会『コシヒカリ』農産漁村文化協会発行より)と、語っておられる。
昭和28年から全国22県で行われた越南17号の試作では、品質、食味はよいが倒伏やいもち病に弱く、多肥栽培には向かないと指摘した試験地が大半であった。しかし、倒伏した穂から芽を出し、駄目になることが殆どだった当時の稲の常識を覆し、越南17号は倒れても稲が殆ど傷んでおらず、穂の実りも大変充実していた。その様は「倒れた稲が生きている」と言われて全国の称賛を浴びる程、見事であった。この貴重な経験知を承け、新潟農業試験場の國武正彦さんは、食味と品種に優れる「新潟米」を確立する必要を実感し、倒れながらもしっかりと稔っていた越南17号の状況を、農業試験場長である杉谷文之場長へと報告された。これを受け、「栽培法でカバーできる欠陥は欠陥にあらず」と判断した杉谷場長が、越南17号を新潟県の奨励品種に申請、採用する決断を下す。「農林100号」として登録された越南17号は、日本一美味い米、新潟県コシヒカリとして、茲に誕生したのである。

2019年5月10日

人生の新緑

精神が成長して人間関係が変わるということは、未熟であった時代の知己との非生産的な繋がりが精算されることを含意して貴い。私の身辺の人間模様が大きく変化したのは、不惑を過ぎて直ぐのことである。その昔、親交の有った人間が、一人また一人と現在の私の元を去って行くのを、私は悲しいことと思わない。それは、こうした人達が、概ね人生に於ける何等かの落伍者、敗北者と成り下がっている現状からしてそうなのであり、数々の新たな出逢いが今の私の日常を彩っていることからも、同様にそうである。
一旦は泥まみれになった丹頂鶴が、元の羽毛の白きに夕日を指して翔ぶように、自分の人生が新たなステージへ入ったという実感がする。「俺は生まれ変わったのだ!」と、五月晴れの大空に向かって言ってみる。過不足は何処にもない。衒いもなければ卑屈になることもない。塵は払われたのであり、貧乏をもたらす神は去ったのである。そう確信する今、留意するべき事は一つしかない。それは、元の暗闇へ絶対に還帰しない事であり、今はただもう、ひたすらに前を向いて進むだけだという事である。幾多の危機をくぐり抜け、無事生還を果たした自分の強運と逞しさを、私は誇るべき美点と見做す。そして、自己の経験から学ぶ謙虚な姿勢を心に誓うのである。求め続けた幸福の、正に実現しつつある今この時を、私は掛替えのない奇跡の瞬間と見做す。塵は払われたのであり、貧乏をもたらす神は去ったのである。少し遅くに来た人生の新緑が私の瞳に眩しい。豊かな心で逞しく。自主自律の精神を羅針盤に、生きて行きたい。

2019年5月8日

「自律」について考える

    非凡な資質を備えた人物の生涯は、努めて平凡であろうとして彼が造り上げる虚構の自己イメージとの、絶えざる葛藤に彩られてあるのが常である。非凡な資質を備えた人物が、自らの資質の凡庸でないことを意図的に隠し、平凡な人たちとの間に交わされる浅薄な会話に明け暮れて生きてゆかざるをえないというのは、大いなる錯覚である。彼らは概ね、規格外に位置づけられる自らの資質に対して、罪悪感をもつよう教育される。教育の目的は、万人へ知識や技芸を伝授することだけにとどまらない。教育の目的とは、予め用意しておいた規準の枠内のどこにも収まらない規格外の人物を、なるべく早期に発見することでもある。そうすることで、ともすれば世の規範から逸脱し、不適応者の烙印を押されかねない規格外の人物を、周囲と協調して思考する人間に矯正し、それをもって社会の治安を維持するのである。
    非凡な資質を備えた人物に対する教育的配慮がこのことに尽きるとするなら、それは教育を施す側の人間観の貧しさを物語っているわけであるが、一般には、そういう人間観の貧しさを公言し、批判するような暴挙は行われない。それは、私たちが、そういう教育的配慮に、社会の治安を維持するというだけでない存在意義を認めているからである。その存在意義とは、周囲と協調して思考することこそ社会適応の基礎だという以上、非凡な資質を備えた人物が自在に活動することには、「規範」という名のくつわが嵌められなければならないということである。規範を逸脱し、不適応者の烙印を押されて生きるのはだれにとっても辛いことである。むしろ、規範を自分の行動の原則として意識するような自律的な構えを叩き込んでおくという方が、非凡な資質を備えた人物にとっても幸せなことであろう。逸脱と不適応とを、あたかもそれらが自分という存在に固有な罪悪であるかのように意識することができる。意識して、そういう不埒な性格要因を矯正するべく、自分で自分を「教育」することができるまでになれば、社会の治安を維持するという観点から捉えた場合の教育は、その十全な完了をみる。
    非凡な資質を備えた人物の葛藤とはこの場合、日常が平穏であることをひたすらに希望する社会の要請と、それを強力に基礎づける教育の矯正作用とが彼の自由な思考活動を制約するところに生ずる、存在の興廃を賭けた戦いであるかのように映る。いわれなき外圧にいまにも押し潰されてしまいそうな才能を救済する必要が、声高に叫ばれたりする風潮に、私はつよい疑問を覚える。このような教育観は、人間の本性をやみくもに悪であると決めつけるのみならず、それを余りにも醜悪なものへと歪めてはいないか。逸脱や不適応を発見し、社会の治安を維持しようとすることは、それ自体、私たちの安心を基礎づける大切な試みである。人びとの性格の形成に働きかけ、常軌を逸した振舞を自ら禁ずる良識を育成することは、人間が人間らしくあるかぎり、等閑視することの絶対にかなわない、すぐれて教育的に妥当な配慮である。私が疑問を覚えるのは、至極妥当であると思われるこれらの人間的営為が、非凡な資質を備えた人物の可能性を極めてせまい範囲に限定し、彼らの言行の逸脱と不適応とを助長していると主張する世の論調である。
    さまざまな価値が、持てる特長を遺憾なく発揮し、真の意味で個性が輝いてやまない「自律」とは、大きな矛盾をはらんだ一個の崇高な理念である。私は、抑圧と自律、放恣と自由を混同するような原則を自己の教育に容認しない。「自律」の理念の意味するところが、問われているのである。

2019年5月6日

非凡人の意味

幸せの定義は人の数だけあると言われる。だが、大多数の人に取って幸せへと通じる道は一つしかない。すなわち、サラリーマン稼業が普通にやれるという道があるのみである。サラリーマン稼業を普通にやれない一匹狼が幸せになるためには、いつでも、特別な思慮が要る。確かな所属がない分、安定した収入を何処から得るか、孤独がもたらす寂しさの感情への対処をどうするか、住まいがゴミ屋敷になりはしないか、間欠的に催す性欲の処理に悩まされはしないか、人生の目的を見失わずにいられるか、等々、独力で考えて生きて行かざるを得ない。そのストレスが、一匹狼の人生を少しも幸せにしないのである。
社会は、大多数の平凡人の幸福のために設計されている。それが人数の上で全体の五パーセントにも満たない非凡人の幸福のために設計されてあるのでないことは、ほぼ全てのドアノブが右利きに作られてあるのと同じことである。少数のために展開されるビジネスは、利潤の絶対的な少なさが制約となり、社会の全体を変革する力を持たない。社会を非凡人のために設計するのは、経済の観点から不可能なことなのだ。平凡人は、社会に存在するあらゆる道具の恩恵を享受できる。何故なら、社会とは、平凡人の、平凡人による、平凡人のための、システムの総体のことだからである。
更に言えば、非凡人の数が少ないことには別の理由もある。非凡人は、その多くが社会への適応に失敗し、子孫を遺すことが出来ないため、常にマイノリティであり続けるのである。平凡人とは、最も多産で最も強く、それゆえ遺伝的に最も安定した優良種のことである。非凡人だから優秀で、優秀だから優良でもあるというのは全くの誤解である。非凡人は、常に少産で常に脆弱であり、それゆえ遺伝的に最も安定しない劣等種である。知能が特別に高いだとか、そういうのは、少数の例外的な成功者を除けば全て、不幸な人生の体現者でしかない。知的に理解できるということは、建設的に世界を変革することと全然同じでない。知的な理解が卓越しているからこそ、知性なんかで世界は少しも動かないこと、知性くらいで人の気持が変わる訳もないことを、より深く、より絶望的に知ることになるだけである。
全ての非凡人は、やがて絶滅する定めにある。理詰めで考えるなら、この予測に矛盾はない。それだから、私達はむしろ、平凡人がこれほど大手を振るい、肩で風を切って幸せに暮らす世界のただ中で、少数の非凡人が「それでも」生きてあることの意味に、注意深くなければならないのである。

2019年4月23日

新聞掲載の文学的駄作を斬る

具体的に書名を挙げることはしないが、今朝の新聞に、結婚活動の実態を描いた小説の作者が結婚活動について寸評しているくだりが掲載されていて、考える所があった。彼女の意見は大略、以下のようなものである。「結婚活動では自己の全てがあらわとなる。人を品定めする冷徹さ、善良さの一方の不器用さ、どこで満足したらよいか分からない不安、家庭環境の影響等からそのように言える」というのである。私は、作家であるこの女性が挙げている上記の要因は全て、疑似問題を言い表したのであるに過ぎなく、真の問題は全然違った所にあると考える者である。以下、そのように考える根拠を書いて行こうと思う。
まず「人を品定めする冷徹さ」とあるが、これは疑似問題であり、実際は何等問題でない。人を品定めする、という風に言えば、言葉が如何にもどぎつく、感情的な反発を招き易い。だが、私達は日常、人を全然品定めしないだろうか。私達が日常的に交わす会話は、その多くの部分が人を品定めすることから成っている。「あの人の性格は好ましいが、この人の性格は好きになれない」だとか、「あれは役に立つ人だけれど、これは役に立たない人だ」とか、誰もが普通に思っているし、時にそうした思いを他人へと打ち明ける。むしろ私達の日常会話の実際は、そのほとんど全部が、他人の人物を評定することで成り立っている。言葉を換えて言えば、人を品定めすることが日常会話のほぼ全部であり、これを欠いた話題は無邪気である反面、毒にも薬にもならない。つまり全然面白くない。従って、人を品定めすることはどきついことでも何でもなく、寸評掲載の要因の一番目は疑似問題であるに過ぎない。
次に「善良さの一方の不器用さ」であるが、これは疑似問題であり、実際は何等問題でない。ある人が善良であるかどうかは、その人と交際する者に取って、多いに問題であるようにみえる。だが、人の性格が善良であるか邪悪であるかは、結婚活動をする年齢の大人ともなればほぼ決まっていて、滅多なことで変わるものではない。だから、実際は全然問題でない。さらに、善良さの一方での不器用さ、という風に条件が付いても、問題とはならない。善良さとはつまり、余計な社交上の修辞が人の本性を損ねないまま表された純朴さのことである。純朴でない善良さはない。善良であることと、自己の本心を隠し、その分だけ人を欺くことを本質とする社交上の修辞は両立しない。世間を相手に生きて行くことは、多少なりとも自分の本心を上手に隠す狡さを必要とし、それだけ、ある種の人の悪さを身に纏うことでもある。そしてそれは、不器用でない一方、ある程度の人の悪さを純朴さの代わりに持っている大多数の平凡人に、例外なく当てはまる普通のことである。従って、寸評掲載の要因の二番目は疑似問題であるに過ぎない。
第三に「どこで満足したらよいか分からない不安」であるが、これは疑似問題であり、実際は何等問題でない。明確に予測することの遂に出来ない未来の幸福についてどこで満足するかは、もともと、本人の意志が決めるものである。ゆえに、未来の安全が確約されるまで満足をせず、結婚に踏み切らないというのは、完全な自己責任に属する事柄である。他人に打ち明けたから事態が良くなる保証なぞ、始めからないと言ってよく、完全に主観的な自分だけの思い込みだというに過ぎない。従って、寸評掲載の要因の三番目は疑似問題であるに過ぎない。
最後に「家庭環境の影響」であるが、これは疑似問題であり、実際は何等問題でない。どんな家庭に生まれるかは、本人の希望とは完全に独立した要因であり、自分の努力で変更することは絶対に出来ない。また、どんな家庭で育ったかは、過去の事実に属する、同じく絶対に変更の利かない要因であり、今さらそんな事を嘆いても何にもならない。大事なのは未来の幸福であり、過去はどうでも構わない。従って、寸評掲載の要因の四番目は疑似問題であるに過ぎない。
以上考えて来たように、今朝の新聞掲載のこの寸評の全体が、全然意味のない疑似問題の羅列であることは明白である。真の問題は、結婚活動というナイーブな事柄を取り上げて論ずる際の作法が、本質をまるで掴み損ねたものであるために、問題が問題として何一つつまびらかとならず、徒にセンチメンタルで扇情的な文学的駄作が書かれて仕舞っていることなのである。

2019年4月21日

今日の雑感

「心理学が明らかにした所によれば、人は記憶の中に織り込まれた言葉を、繰り返すように他へ投げ掛けるものであるらしい。喜びや楽しみの感情を表す言葉が、私達の会話を介し、豊かに広がって行くことを今日も願う。一日一善と言われるが、善は言葉のプレゼントから始めるのが手軽でよい。「有難う」の言葉は万国共通のプレゼントである。」という風に書き進めて来て、さて、接続詞をどのように配したものか、思案している所だ。
先月の国語勉強会で、「重信の文章には接続詞がない」と指摘されて以来、接続詞の配置をとみに意識するようになった。「ところが」と書きたいのだが、如何にも適当なタイミングを掴めずにいる。筆者としては、「ところが、私達の会話をよくよく観察してみれば、それというのは、これでもかと言わんばかりに否定的な言葉のオンパレードである。」 と続けたい。「否定的な言葉は、それを発する者の世界認識のありようが、総じて明るいものでないことの表現である。」という風に書いておいてから、また筆が止まって仕舞った。
何はともあれ、途中を全部省いて結論を先に書くという窮余の策へと活路を求め、捻り出した一文は以下の通り。「過去にどれほど辛いことが有ったにせよ、かけがえのない今を健康に過ごせる感謝を忘れないようにしたい。漠然と感じているその辛さには、本当に客観的な対象があるだろうか。実体のない抽象的な辛さを、思慮の深さと取り違えてはいないか。私は本当に、謙虚に生きているだろうか。悲しみや苦しみを一寸だけ飛び越えて進む笑顔を、今日も忘れずにいたい。」

2019年4月19日

記憶の中の小学校

私の小学校は、岡山大学教育学部の附属校であった。幼稚園に入園すると、中学校までエスカレーター式に進級できる仕組みの学校である。公立の他の学校と比べて教育環境が格段によいとの定評があり、学齢期の子を入学させたがる親が多い。私はこの学校で、幼稚園から中学卒業までの十年間を過ごした。
小学校の敷地は岡山市中区の東山にあり、グラウンドが広くて開放的な感じがする。生徒は、医者や会社の経営者の子が全体の三割くらいで、総じて経済的に裕福な家庭の出である。私の母校である慶應義塾を、そのまま岡山県内へ移したかのような印象がする。私の同級生には、慶應義塾へ進学した者が二十人ほどある。当時一学年が二百人ほどであったことを思えば、かなりな人数である。文学部へは、私を含めて三人が進学し、いずれも卒業して塾員となった。
大学教育学部の附属校なので、教育実習生がやって来て模擬授業をする風景が毎年の恒例である。小学生に取って、年の離れたお兄さん、お姉さんと交流する格好の機会である。私なぞ、美しい女子大学生の初々しいスーツ姿に胸が高鳴ったことを告白しなければならないが、それがどの季節のことであったかは、とんと覚えていない。

2019年4月10日

国語勉強会の学び

先週の国語勉強会で、国語科の先生方に作文の評をして頂く機会を得、今後の執筆の参考となる指摘や感想を頂くことができた。場に挙がった指摘や感想の概略は以下の通り。
・接続詞がなく、読解の糸口が掴みづらい。・具体例の記述がなく、文が観念的である。・文章の前半と後半とで、同一である筈の概念の意味が変わって仕舞っている。・難しい語彙が多用されていて、中学生の教材としては使いづらい。・「見る」を「視る」と表記する等、筆者のこだわりが窺える。・文が押し並べて断定調であり、読んでいて内容の妥当性に同意できない部分があった。・「移動する」と「動く」、「動く」と「行動する」といった言語表現の微妙な差異に留意しなくてはならない分、平易な語で作文する方が無難。・文が書かれるに至った背景が分明でなく、不安である。
いずれの指摘、感想も、私の文章の改善点を言い当てて的確である。この勉強会に出席していつも思うのは、国語科の先生方のコミュニケーション・スキルが、常に素晴らしく精確だという事である。訥弁な私には、彼らの言葉はきらきらと輝いて聴こえる。他者の発言を要約する言葉の正しさ、場の議論へ資する意見を発表する言葉の無駄のなさ、全ての先生方の相互を行き交う謙譲と尊敬の言葉の過不足なさ、どれを取っても完璧と言うに遜色なく、私はこの点、彼らの足下にも及ばない。ただ作文の評を頂くだけに留まらない、総合的な言語運用の勉強をしているという感触がある。

2019年3月31日

じっと座ること

政治経済がグローバル化し、人・モノ・カネの移動が地球規模へ拡大した時代の性格は、「多動」という語によってしるし付けられる。いま、政治経済のグローバル化を、人・モノ・カネの移動を制約してきた様ざまな要因が次第に取り除かれて行くプロセスであると定義してみる。そうすれば、これまで、他の人や物と緊密に繋がり合うことで存在することを許されていた「自己」という概念の輪郭がぼやけ、自他を分かつ境界は、ますます不分明なものとなって行く。行動傾向としての、多動の出現である。
腰を据えて事象の動きを眺めやる安心感が、これほどの重要性をもった時代は、現代をおいて他にない。現代における多動は、人々が、安らかな休息に心を休ませることのできる居場所を喪失してしまった事を物語っている。私は、この「居場所の喪失」こそ、多くの人が日常的にもつ漠然とした不安感の原因ではないかと思う。腰を据えて一つ所にじっと座るという所作は、一定の空間を占めて存在している自己のありようを肯定しようとして、意識的に為されることがある。自分の居場所がそうして今も在ることを、確かめてみる作業である。多動の対極に位置付けられる所作がじっと座ることであって、事象の動きを眺めやる安心感がここに生まれる。

2019年3月30日

 

芸術の真贋とは

昔付き合っていた人が、宮崎駿のアニメを評して「あの人の作る物を観ても、全然明るい気持にならない。私は宮崎アニメを二流の芸術だと思う。」と言ったのを思い出しながら、文を書いている。私は、その人と同じく、宮崎の作るアニメ・シリーズを全くの駄作と見做す者である。日本が太平洋戦争を戦わざるを得なかった事実を自嘲的に語ろうとする芸術はどれも贋物だというのが、私に取って、芸術の真贋を判別する第一の規準である。戦争は莫大な出費を要する国事行為であるため、外国へ戦争を仕掛けることを賛美するような思想は危険であるが、軍事をまるきり否定する現代のこの国の風潮はそれと同じくらい危険である。自国の防衛を外国に依存している状況の下で産み出される芸術は全部、幻の安寧を前提する贋物の芸術である。健全な国土防衛の発想は、やむを得ざる戦争の存在を否定しない。有事の際には戦争に訴えてでも国土を防衛するという国際社会の常識が、この国ではまともに通用しない。代りに、外国の核の傘の下に匿われ、世界中の何処にも例を見ない程の「平和」を謳歌している。現代において反戦を唱道する芸術は、こんな得体の知れない作り事が日本人の心情を毒しているという事実を正反対の方向へ歪曲しようとする、贋物の芸術である。何処にも存在しない幻の平和に誤魔化されまいともがく人びとの嗅覚をなまくらにし、太平の夢に果てる事を称揚する、芸術のまがい物である。
けれども、それだから芸術は国防と無関係ではあり得ないと考えるのも、何処かとぼけた発想である。芸術は、始めから国防なぞ眼中にないのだからだ。芸術は、ただひたすらに、それを作る人の心中の喜怒哀楽を活写しようとする。或は人生に付随する不条理を直覚し、また或は生活に付帯する太陽のような歓喜を享受する生き生きした精神の躍動を、自由の筆致に描き取ろうとする。芸術に、戦争反対や戦争賛美といった形式はない。もっと正確に言えば、戦争反対や戦争賛美といった形式が先ずあって、芸術がその形式に準拠して制作されるということは絶対にあり得ない。戦争のさなかに来るべき社会の理想を想い、平和のただ中にあって戦争の防止を思惟することを怠らない。虚偽の平和のただ中に生きて社会の撞着した現状に苦悩し、 正義の戦争を戦うさなかに正義という観念の非人間性を看取する。芸術がかかわるのは、そうした苦悩や看取が概念となる以前の、永遠に未解明な人間心理である。虚偽の平和の中に暮らしながら反戦を主張する怠惰な誤魔化しとは、何の関係もないのである。

2019年3月19日

言葉が変わるとは

昨夜、メッセンジャーで、大学時代の友人と会話のやり取りをした。古くからの知己であるだけに、私の性格を私以上に的確に言い当てる所があり、私にしてみれば、「第二の自己」と呼んでよい人である。彼の私に対する評は昔から概して激辛で、この度のそれもまた、非常に手厳しい言葉が次々に繰り出された。中でも、「発する言葉が浅く、積木遊びに付き合っているようだ」との言が、この日の辛口の白眉であって、私も一個の男であるから、これには流石にぐっと来た。彼はつい先日、インドの旅を終えて帰国したのだが、旅の前後で明らかに変わった。使う言葉から余計な修辞が消えたのである。発言が、良く言えば鋭利になり、悪く言えば少々ぶっきらぼうになった。ややもすれば言葉を冗漫にする夾雑物が、きれいに洗い流されて簡潔になった。
インド等という異郷の地へ唐突に旅に出たのには、やはりそれなりにもつれた思念が、その心理の背景に潜んでいたと見るべきである。年来の友人が一体どんな風に変わって帰って来たのか、会話して試してやろうという好奇心が私にはあった。大きな変化は細部に宿るのが常である。荒れ果てた南アジアの方々を歩き回って無為に帰って来ただけだろうという私の予測は真っ二つに裏切られ、悔しいことに、出て来る言葉が変化したのを一々認めざるを得ない。しかも、長足の成長を遂げたそいつが、こちらの「言葉が浅い」だの「発言が児戯に等しい」だの、言って来やあがるともなれば、軽い殺意すら覚えた事を告白しなければならない。こうして見れば、外国への旅なぞ、隠居した老人か、思慮の足りないお調子者がするものと高を括っていた私も、それが意識の変容にもたらす効用を、はっきりと認めない訳に行かなくなる。終いには、タイムライン上をずかずかと流れて来る相手の言葉の迫力に、どうしたものかと考え込むに至った。
人の言葉とは、干天に雨を待つが如くに発せられなければならないものだ。強烈な情念に根を下ろさぬ言葉は、他の心を感動させることがない。「女が欲しい」でも「食い物を寄越せ」でも、精神の奥から噴き出すような烈しい台詞は、原理的に冗漫であることが出来ない。冗漫であるとは、炸裂する情念の燃え滓の表現であるにすぎず、何の力もない。言葉は、生きられた過去が作り出す感情に基礎付けられてこそ、圧倒的な迫力を纏う。そんな言葉を使える男に、俺はなる。嫌みな程てかてかに磨かれた贋物の言葉でなく、寸鉄でありながら世界を震わすような本物の言葉を、必ずや掴み取る。良き友は同時に、最強のライバルでなければならない。更なる研鑽が要求される。

2019年3月14日

過熱する受験競争について

今日の朝刊によれば、隣の中国で、受験競争が過熱しているらしい。「受験競争」と聞けば、一挙にただならぬ緊迫感がみなぎるようでおかしい。学生の頃、こんなことのために散々気を揉んだのかと思うと、同時に、そうした緊迫感が実に下らないものに思われてならない。往時の思い込みは完全な仮象だった訳であり、自己に敵対すると映るものの全てが、何処にも存在しない幻影であったと、今でははっきりと判る。受験競争で争われるのは、自他の短期的な成績の優劣ではなく、自分の歩速を如何に維持するかを巡る我慢強さの度合いである。机に向かう同輩を見て焦燥に駆られ、自分も勉強しなければと思うかぎり、受験競争の軍配は相手の方へ上がる。他人は、関係ないのである。一回の試験の成績で合否がきまる非情な受験競争の世界に「他人」という概念はない。あるのは何処までも、自己の学習ペースを持続させるために必要な心身の管理だけであり、中学高校の六年間を通じ、これに最も適合した学生が受験競争における首席となる。
心理検査に、クレペリンという作業検査がある。三十分間の簡単な事務作業を課し、その量と正確さから受検者のパーソナリティーを知ろうとする検査なのだが、私はこの検査を、受験社会への適応を予測するよい指標であると思っている。作業の質と量を最大化するためには、何よりも先ず気持を平静に保ち、精神を集中させなくてはならない。作業自体はきわめて単純なものであるが、ミスをせず量をもこなそうとすれば、脇目も振らず一意専心しなくてはならず、その際の状況が受験勉強をこなす時のそれによく似ている。倦まずたゆまず学習のペースを維持したプレイヤーの成果が集団の中の白眉になることは、針金を折ってできる四角の面積が正方形の時に最大となる様子と似て興味深い。日々の学習のペースをできるだけ一定に維持する心身の自己管理に最も与って有力である要因は、規則正しい生活のリズムと、それに付随する情緒の安定とである。
能力の個人差について考えてみると、中学高校レベルの学習に知能の卓越は必要でない。知能指数が130以上なければ理解できないような内容は、この水準の教育には何ら含まれていない。高校を受験する段階で、大学受験を戦うに必要な知能の程度は十分問われているのだからである。知識の習得には正しい順序があるが、正しい順序を踏まえさえすれば、大学の入学試験に解答する力は付く。問題が解けないのは、学生の知能に問題があるからでなく、問題への正確な解答が要求する知識を、学生が正しい順序で学ばなかったからである。更に言えば、中学高校までに習う世界についての知識なぞたかが知れている。いずれの教科も、既知の現象の理解に必要となる単位と観点とを教示し、世界を分析的に見る眼を養おうとしているだけである。このように、受験競争と聞いて一挙にみなぎるかに映る緊迫感とは、実に、何処にも存在しない仮象なのである。

2019年3月3日

私のなかのトリック・スター

以下、我ながらやや、繊細な感傷主義に耽溺の風が無いわけではないが、人付き合いが増え、否応なしに世間というものをつよく意識せざるを得なった昨今、私がとみに警戒するようになったことがある。それは、社会によって養われ、他との関係のただ中に自己の実存を生かしてある私のなかに、何物へも代えられない尊い結び付きを寸断するよう働く傾向性が有るということである。私は、自らの人格が宿すこの傾向性を「私のなかのトリック・スター」と見做し、その性質を分析することに日夜腐心している。西洋将棋の駒に喩うるなら、さだめし「ナイト」といった所か。
私のなかの、此の腕白坊主の性質を分析しようとする目的は、一見すればネガティブと映る要因の背後に隠れているセレンディピティを必要以上に抑圧しない為に、欠かすことのできない洞察を得る事にある。破壊の営為が同時に創造の湧きいずる源泉であるように、私のなかのトリック・スターは同時に、私の精神の内蔵するクリエイティビティの権現であるやも知れず、もしそうだとすれば、過剰な自制は、自分のなかの太陽のようなこの性質を遇するに、正式な礼とは言えないこととなる。社交の健全なあり方を毀損するかに見ゆる非社交的性格の裡に、孤独に沈潜し、流動して止まない世間の動態を批判的に捉え返す事のできる冷静さを達得する。人の実存の奥義とは、一方の極から他の極へと揺れ動く、その振れ幅の広さと深さによって決まる生命の律動のことだ。私のなかのトリック・スターとはつまり、私のなかに躍動するセレンディップの三王子の変化である。
社会と自己の繋がりを想えば、それというのが、完全な相互補完の関係に存在している事が窺われるというもので、私は社会によって養われて在ると同時に、私は社会を養っても在る。人は皆、産まれて生きるという以上、社会の善を前進させる責務を担っているものだ。時に時流の猛々しさから退却し、自他の適正な立ち位置を確かめるべく、孤独な思索の行程へと沈潜する。積極的かつ能動的なその退却の狙いは、明日を生き抜く洞察を、自己の経験という名の大洋の奥底から汲み出すことにある。ネガティブと映る自己の傾向性の彼方に、未来を生き抜く私の可能性の源泉を訪ね、私は私の存在へ最大限の承認を与えることができる。逞しい自律に裏打ちされた自己の存在の肯定が、此処にまったき完了をみる。生きる喜びが、むくむくと湧いてくる。

2019年2月27日

文章スキル習得についての雑感

世に棲む雑感はすらすらと書けても、論文や報告書を書くのはすこぶる苦手な私である。フェイスブックに、慶應義塾から出ている三田評論の文章が載るので、自由になる時間を、その時代その時代の塾長の事績についての評伝など、読むことに充てる。評伝は慶應義塾で教鞭を執る現役教師が執筆したものであり、文章として、どれも一様に秀抜である。義塾の関係者として、先輩に失礼があってはならず、かといって改まり過ぎも好くない。事実を周到に調査し、間違いの無いように文章を構成しなくてはならない。
私はずぼらな性格の人間であるから、三田評論を執筆される義塾の先輩方のような文章は、とてもではないが書けない。そもそも、執筆の対象となる人物の言行を綿密に調べ上げるという段階で、あっさりと挫折してしまう。大学の四年間を通じ、何かについて「調べる」という事の要領が得心されず、今を以てその意味がよく分からない。少し考えればその理屈はきわめて平易であって、要は調べ物が上手い人のやり方を模倣すればよいだけの話である。私は、この模倣すら、しようとしない。「物を調べるということ」の本質的な意義からその遂行の要領まで、全部独力で考えて検証してみたいからなのだ、という風に釈明するなら、その言は、私の実態を美化し過ぎていると言わなければならない。
名人を真似ることを私が厭うのは、単に、真似ることすらもが面倒くさく思われるからだというに過ぎない。調査の試みが面倒くさくあれば、上手を模倣するのもそれと同じくらいに厭わしい事であり、結局のところ、我流でしか物を書きたいと思わない。自分の文章力に絶対の矜持があるから我流を貫きたい訳では全然なくて、他から学ぶのが面倒くさいから、好きなように雑感を書き綴りたいだけのことである。こんなのでは、母校の校長の評伝なぞ、書けたものではない。書けば書くほど、くだんの人物にたいする非礼が積み増されるというだけでなく、書けば書くほど、自分の恥が塗り重ねられるようで、そんな事にでもなれば、身の置き所が何処にも無くなってしまう。
このような私ではあるが、論文や報告書、人物の事績についての正式な評伝のたぐい、書けるようになったら素晴らしいと、つくづく思う。それら客観的な文章が書けるようになるには、事実についての論説を手際よく纏める技術に精通する必要がある。雑感を書くようでない文章の書き方を、スキルとして身に付けておいて損はない。そんな思いから、目下、大学入試世界史の論述問題を使って勉強している。書く内容が歴史的な事実にまつわる論述だと、日常の雑感を漫然と綴るのとは違い、過去の出来事についての綿密な知識が要るから、よい練習になると直感したのだ。先輩方のようにはなかなか行かないであろうが、「半学半教」の校訓からすれば、私の試みとて、全くの暴虎馮河という訳でもなかろう。がんばりたい。

2019年2月16日